2025年9月9日に競走馬ハルウララが亡くなったと報道がありました。

とても残念です…
お悔やみを申し上げます…
ウマ娘として話題になっていたハルウララでしたが。
「負け組の星」と呼ばれた113連敗を記録し話題となった競走馬でした。
負けても負けてもひたむきに走り続けるその姿に日本全国が魅入られて、熱狂した当時のブームを今でも覚えております。
しかしこれだけ負け続けたハルウララでしたが実は日本一負け続けた馬ではなかったってご存じでしたでしょうか?
実はハルウララより負け続けた馬が何頭もいるんです!
では何故それらのウマたちがハルウララに比べてそこまで話題とならなかったのか?
そこで今回は、ハルウララの記録を超える連敗記録を持つ競走馬たちのプロフィールや戦績について調査した上で
何故ハルウララだけがこんなにも話題となり愛されるのかについても考察してみようと思います。。
・ハルウララよりも負け続けた馬について
・ハルウララが愛された理由について
ハルウララより負けた馬っているの?
ハルウララの連敗記録といえば、日本競馬史上に残る記録として多くの人に記憶されています。しかし、実は連敗記録においてハルウララはトップではありませんでした。
ではハルウララとはどんな馬だったのか、まずは基本情報を確認していきましょう。
・名前:ハルウララ(Haru Urara)
・生年月日:1996年2月27日
・調教師:宗石大(高知)
・馬主:横山貴男→安西美穂子
・生産者:信田牧場
・産地:北海道三石町歌笛(現・新ひだか町三石歌笛)
・通算成績:113戦0勝(0-5-7-101)
ハルウララは1996年2月27日、北海道三石町歌笛(現・新ひだか町三石歌笛)にある信田牧場で誕生しました。
場長の信田信義によると、幼少期から小柄で臆病な馬だったといいます。
信田はハルウララをセリ市に上場しましたが買い手がつかず、信田牧場がみずから所有する形で競走馬となりました。
高知競馬でないと勝負にならないという理由から、高知競馬場の調教師宗石大に預託したとのことです。
こうして始まったハルウララの競走馬人生は、1998年11月17日に高知競馬の第1競走でデビューするも、5頭立ての5着に敗れます。
その後も勝利を挙げることができず、最終的に2004年8月までの113戦すべてで勝利することなく引退しました。
特に有名なのは、2004年3月22日に行われた106戦目のレースです。
中央競馬のトップ騎手である武豊さんが騎乗して出走することとなり、大きな注目を集めました。
当日の入場者数は1万3000人、ハルウララの単勝馬券だけで1億2175万円の売り上げを記録。
レースの結果は11頭立ての10着に終わりましたが、レース後武豊は通常勝ち馬が行う「ウイニングラン」(ゴール後、馬場を1周すること)を行いました。
ではそんなハルウララよりも連敗し続けていた競走馬たちについて紹介していきます。
競走馬連敗記録一覧まとめ
実は日本競馬界には、ハルウララの113連敗を大きく上回る連敗記録を持つ馬が複数存在します。ここではそれらの馬についてまとめてみました。
こちら日本の競走馬連敗記録のトップ10記録を一覧にまとめてみました。
日本の競走馬連敗記録トップ10(2025年5月現在)
1位:ダンスセイバー:229連敗
2位:アタリ:222連敗(後半222連敗)
3位:コスモレグノ:199連敗(後半199連敗)
4位:ナミノハナ:198連敗
5位:ビートマグナム:193連敗(後半193連敗)
6位:マイネアトリーチェ:192連敗
7位:キーモーション:192連敗(後半192連敗)
8位:スピードオーバー:189連敗
9位:ドレスアフェアー:183連敗(中間183連敗)
10位:カンムリホルダー:179連敗
これらの馬の多くは、全く勝てなかった馬と、初期に数勝した後に長い連敗を記録した馬に分かれています。
・ダンスセイバー:229連敗(牝・北海道門別)
通算成績:229戦0勝3着10回(0-0-10-219)
・ナミノハナ:198連敗(牝・高知)
通算成績:198戦0勝(0-0-1-197)
・マイネアトリーチェ:192連敗(牝・笠松)
通算成績:192戦0勝(0-2-6-184)
・スピードオーバー:189連敗(牡・高知)
通算成績:189戦0勝(0-0-0-189)
・カンムリホルダー:179連敗(牝・園田)
通算成績:179戦0勝(0-0-0-179)
一方、トップ10の残りの5頭は、キャリアの初期に数勝を挙げた後、長い連敗に陥ったケースです
・アタリ:261戦3勝(初期に3勝した後に222連敗)
・コスモレグノ:214戦3勝(初期に3勝した後に199連敗)
・ビートマグナム:213戦6勝(初期に6勝した後に193連敗)
・キーモーション:224戦2勝(初期に2勝した後に192連敗)
・ドレスアフェアー:274戦6勝(中間に183連敗の時期あり)
このようにハルウララよりも連敗記録を持っている馬は実はかなり多数おります。
ここではトップ10として紹介致しましたが実に93頭もの馬がハルウララよりも連敗しております。
(ハルウララ同様未勝利だった馬はそのうち26頭)
つい最近でもハルウララの連敗記録を抜いたとして話題になった競争馬がおりました。
次はそのことについて紹介致します。
パドマーワトがハルウララの連敗記録を破り話題に
では、最近ハルウララの記録を破ったパドマーワトについて紹介致します。
佐賀競馬に所属するパドマーワト(7歳牝馬)は2020年6月にデビューしました。
2025年5月18日、最終レースに出走したパドマーワトは7着という結果に終わり、0勝114敗という戦績でハルウララの113連敗記録を21年ぶりに更新することとなりました。
パドマーワトの基本情報はこちらです。
・馬主:山本幹雄
・生産者:アサヒ牧場
・産地:新冠町
・セリ取引価格:99万円(2019年北海道オータムセール)
・獲得賞金:71万円(地方)
・通算成績:114戦0勝(0-0-1-113)
パドマーワトの戦績における最高成績は2022年9月の3着1回のみとなっています。

連敗を続けながらも、現在も現役で走り続けており
2025年9月現在は120連敗中であります
パドマーワトについて世間の反応
パドマーワトがハルウララの連敗記録を破ったことについて、SNSやネット上では様々な反応が寄せられています。
「連敗記録自体はハルウララよりも上がいたから、ハルウララが有名になったのは高知競馬の戦略もだけど、最大の理由はその名前だと思う」
「かっこいい名前の馬が負け続けるよりも、日本語でかわいらしく覚えやすい『ハルウララ』という名前が、ブームを巻き起こした大きな要因」
「何か馬主が赤字でも走らせている姿に感動している人いるけど違うよ?…4年強で114戦。毎月2レースくらいは走らせてる計算。何故か?維持費を補うために出走手当を貰うため」
SNS上ではパドマーワトの連敗についての見方が分かれている様子が見られます。
このことが話題になったことでハルウララの偉大さを振り返る意見も多く見られますが
それ以上に多くのファンからは温かい声援も見られます。
・「パドマーワトちゃん、ファイト!!(´▽`*) 今日もびゅんびゅん走って元気にゴールを!そしてあなたの頑張りとみなさんの応援が良い成績につながりますように!」
・「パドマーワトちゃん、113戦目お疲れ様でした。5月とは思えない程寒かった最終レース、いつもは観客も疎な中、沢山の人が残っていて、あちこちで「パドマーワト」の名前が聞かれました。」
・「メンバー中最高齢、しかも3歳年下の同郷のペアちゃんと同じレースに出走!いかにパドマーワトちゃんが無事に長く走り続けてくれているかが分かります。」
・「その頑張りに励まされ、勇気を貰っている人達が、応援してくれているのだと思います。次走114戦目も元気に!無事に!また現地で声援を送りますよ!」
・「なにより無事に走り切ってくださいね」
しかしパドマーワトについてはYahoo!ニュースでも取り上げられたことはありますが日本全国を巻き込んでのブームとまでには行っておりません。
では何故ハルウララだけがこんなにも話題となったのか考えてみたいと思います。
何故ハルウララの連敗だけが話題となっているの?
ここまで見てきたように、連敗記録では実はハルウララを上回る馬がたくさんいました。では、なぜハルウララだけがこれほど有名になったのでしょうか?
その理由としては、以下のようなポイントが考えられます。
・名前の親しみやすさ
・時代背景(不況下での「負け組の星」というキャッチフレーズの共感性)
・高知競馬場の広報戦略
・メディア露出の多さ
ではそれぞれについて詳しく掘り下げてみたいと思います。
何故ハルウララはこんなにも愛されたのか? ①名前の親しみやすさ
ハルウララという名前の響きは、多くの人の心に残りやすい特徴がありました。
「ハルウララ」は、漢字で表記すると「春麗麗」となり、春の麗らかさを表現した美しい名前です。
この名前は覚えやすく、口にするだけで温かみを感じられる響きを持っています。
競走馬の名前は通常、カタカナ表記や英語由来のものが多い中で、ひらがな表記に近い「ハルウララ」は際立って親しみやすく感じられました。
また、同音の繰り返し(ウララ)により、一度聞いたら忘れにくいという音韻的な効果も持っていたのです。
この親しみやすい名前が、競馬に詳しくない一般の人々にも広く受け入れられる要因となりました。
何故ハルウララはこんなにも愛されたのか? ②時代背景
2000年代初頭の日本は、長引く不況の真っ只中にありました。
就職氷河期やリストラ、企業倒産が相次ぎ、多くの人が先行きへの不安を抱えている時代でした。
そんな時代背景の中で、連敗を重ねながらも走り続けるハルウララの姿は、多くの人の心に深く響いたのです。 「負け続けても諦めない」 「結果が出なくても頑張り続ける」 このようなハルウララの姿勢は、当時の社会情勢と重なり、多くの人が自分自身を重ね合わせることができました。
勝てなくても懸命に走り続ける姿が、「負け組」と呼ばれた人々の心の支えとなったのです。
また、メディアも積極的に「負け組の星」「みんなの希望の星」といったキャッチフレーズを使用し、ハルウララを時代の象徴として扱いました。
何故ハルウララはこんなにも愛されたのか? ③高知競馬場の広報戦略
ハルウララブームの裏には、高知競馬場の巧妙な広報戦略がありました。
当時の高知競馬は88億円という巨額の累積赤字を抱え、存続の危機に直面していました。
そこで、連敗を重ねるハルウララに注目した広報担当者が、この馬を起死回生の材料として活用することを決断したのです。
最初は40社にニュースリリースを送付しましたが、ほとんどが採用されませんでした。
しかし、たった一社が記事として取り上げてくれたことが転機となります。
地方版での掲載予定だった記事が、いつの間にか全国版に格上げされ、それを見たテレビ局からの問い合わせが殺到しました。
高知競馬場は、この機会を逃さずに積極的な情報提供を行い、ハルウララの魅力を全国に発信し続けたのです。
また、ハルウララ関連グッズの販売や、特別レースの開催など、ブームを持続させるための様々な企画も実施されました。
何故ハルウララはこんなにも愛されたのか? ④メディア露出の多さ
ハルウララの人気を決定づけたのは、全国メディアによる継続的な露出でした。
テレビ番組では連日のようにハルウララの話題が取り上げられ、新聞や雑誌でも特集記事が組まれました。
特に、バラエティ番組での取り扱いが多く、お笑い芸人がハルウララのモノマネをしたり、応援歌を歌ったりすることで、より多くの人に親しまれるようになりました。
また、ワイドショーでは「今日もハルウララは負けました」という定番のニュースが流れ、それがかえって注目度を高める結果となりました。
負けることが話題になるという、通常の競馬とは真逆の現象が生まれたのです。
さらに、著名人がハルウララを応援するコメントを発表したり、実際に高知競馬場を訪れたりすることで、より一層の話題性を生み出しました。
このようなメディア露出により、ハルウララは競馬ファン以外の層にまで広く知られる存在となり、社会現象と呼べるほどのブームを巻き起こしたのです。
武豊騎乗も話題に!
ハルウララブームの頂点とも言えるのが、2004年1月4日に行われた武豊騎手による騎乗でした。
武豊騎手といえば、日本競馬界のレジェンドとして知られ、数々のG1レースを制覇してきた名騎手です。
その武豊騎手がハルウララに騎乗するというニュースは、競馬界に大きな衝撃を与えました。
この日の高知競馬場には、普段の何倍もの観客が詰めかけました。
テレビ中継も行われ、全国から注目が集まる中でのレースとなったのです。
結果は7着と勝利には届きませんでしたが、武豊騎手とハルウララのコンビは多くの人の記憶に残る歴史的な瞬間を作り出しました。
レース後のインタビューで武豊騎手は「一生懸命走ってくれました」とハルウララを労い、その言葉が多くのファンの心を打ちました。
この武豊騎乗により、ハルウララの知名度はさらに全国レベルへと押し上げられ、競馬に興味のなかった層にまで話題が広がることとなったのです。
さらに、著名人がハルウララを応援するコメントを発表したり、実際に高知競馬場を訪れたりすることで、より一層の話題性を生み出しました。
このようなメディア露出により、ハルウララは競馬ファン以外の層にまで広く知られる存在となり、社会現象と呼べるほどのブームを巻き起こしたのです。
何故ハルウララはこんなにも愛されたのか? ⑤ウマ娘
2018年にアニメ化され、2021年にスマートフォンゲームがリリースされた「ウマ娘 プリティーダービー」は、競馬界に大きな影響を与えました。
ウマ娘は実在の競走馬を美少女キャラクター化した作品で、多くの若い世代が競馬に興味を持つきっかけとなりました。
この作品の影響により、過去の名馬たちにも再び注目が集まるようになったのです。
ハルウララもウマ娘効果の恩恵を受けた馬の一頭でした。
ゲーム内でハルウララは「みんなのアイドルウマ娘」として登場し、その愛らしいキャラクターデザインと前向きな性格で多くのプレイヤーに愛されています。
特に注目すべきは、ウマ娘を通じてハルウララを知った若い世代が、実際の高知競馬場を訪れるようになったことです。
「聖地巡礼」と呼ばれる現象により、高知競馬場の来場者数は大幅に増加しました。
また、SNS上でもハルウララ関連の投稿が急増し新たなファンコミュニティが形成されています。
TwitterやInstagramでは「#ハルウララ」「#高知競馬」といったハッシュタグが頻繁に使用され、リアルタイムでの情報共有が活発に行われています。
このウマ娘効果により、ハルウララは2000年代のブームから約20年を経て、再び全国的な注目を集める存在となったのです。
しかも今度は、デジタルネイティブ世代という新しいファン層を獲得することに成功しました。
ウマ娘の影響は単なる一過性のブームではなく、競馬文化の継承と発展に大きく貢献していると言えるでしょう。
ハルウララが愛された理由についてまとめ
ここまで、2025年9月9日に亡くなったウマ娘としても有名だった競走馬ハルウララが何故こんなにも愛されたのかについて紹介してきました。
負け続けて話題となっていたハルウララ。
しかし調査していくとハルウララよりも負け続けていた競走馬が数多くいたことが分かりました。
競走馬の連敗記録を一覧にまとめたものがこちらとなります。
1位:ダンスセイバー:229連敗
2位:アタリ:222連敗(後半222連敗)
3位:コスモレグノ:199連敗(後半199連敗)
4位:ナミノハナ:198連敗
5位:ビートマグナム:193連敗(後半193連敗)
6位:マイネアトリーチェ:192連敗
7位:キーモーション:192連敗(後半192連敗)
8位:スピードオーバー:189連敗
9位:ドレスアフェアー:183連敗(中間183連敗)
10位:カンムリホルダー:179連敗
最多連敗記録はダンスセイバーの229連敗で、ハルウララの113連敗を大きく上回っています。
しかし、連敗記録の数字だけがすべてではありません。
ハルウララの真の偉大さは、その存在が高知競馬を救い、地方競馬全体に新たな可能性を示したことにあります。
「負け組の星」と呼ばれながらも、多くの人々に希望と勇気を与え、競馬ファン以外にも広く愛された唯一無二の存在でした。
ウマ娘として知った方も多いかと思います。

僕はゲームの中での愛くるしさとひたむきな姿に現役時代を思い出して
思わず涙が出そうになっちゃいました
連敗記録という観点だけでなく、一頭の馬が社会に与えた影響の大きさ。それこそがハルウララという競走馬の真の価値なのかもしれません。
今はただご冥福をお祈りいたしたいと思います…。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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